しかし幼い頃から、どうしても気になる疑問がありました。それは「死んだらどうなるんだろう?」というものです。
夜中に目が覚めた時など、暗い部屋の中で「いつかお父さんもお母さんも死んでいなくなってしまう。そして必ず、僕にも死ぬ日がくる。死んだらどうなるんだろう? 何も分からない、すごく怖い」と思うことがありました。
死について色んな人に話を聞きましたが、よく聞いたのが「死んだらどうなるかなんて考えたことないな」というもの。また「子供時代は死んだらどうなるか考えたけど、大人になったら気にならなくなった」という人も多かったです。
しかし私はなぜか、いつまでたっても死ぬのが怖かったのです。
「死んだらどうなるんだろう?」という疑問は、青春時代になってもずっと私の心の中に残り続けました。
なぜ死ぬのが怖いのか?
ところで、なぜ私はそれほど死ぬのが怖かったのでしょうか。
その理由は、死後に何が起こるのか全く分からなかったからです。
例えていえば、死んだ後は「何が入ってるか分からない箱」と同じです。
その箱に穴が開いていたとして、その中に勢いよく手を入れられるでしょうか? 中身はおもちゃかもしれないし、ケーキかもしれないし、毒ヘビかもしれない。本当に中身が分からないのであれば、多くの人は不安を感じるのではないでしょうか。
これと同じように、死後は完全なブラックボックスであるため、私は不安を感じたわけです。そのため周囲の大人たちに「死んだ後はどうなるの?」と聞いてまわりました。
しかし大人たちは「死後が分からないなんて当たり前じゃないか」「死んだ後が怖いなんていうのは、子供のうちだけだよ」と言って、質問してくる私を相手にしませんでした。
死後の不安要素は6分の1
もっとも意外だったのは、現在の科学においては死後が有るか無いかすら分かっていない、ということでした。そのため当然、学校教育でも死後について教えてくれる授業はありません。
それならばなぜ、世の中の大人たちは平気な顔をして生活しているのだろうか? 死後は不明だし誰もがいつ死ぬか分からないのだから、解決方法を求めるのが最優先のはずなのに。私の目には、ほとんどの人が死の問題を忘れているように見えました。(※死の問題を解決しようとする人が少ない理由は、後に分かることになります)
そこで私は子供なりに情報を集めようとしたのですが、死後については何のヒントも得られませんでした。中にはオカルト的に「死後には天国や地獄がある」と主張する人もいましたが、信頼できる根拠があるようには思えませんでした。
死の問題について話し合える相手もいないので、私は自分一人の問題として解決の手がかりを探していきました。
その後、学校で数学を勉強しているときに「確率論」という考え方を知りました。物事の結果が何パーセントであると予測されるか、というものです。例えばサイコロを1回ふって1の目が出る確率は6分の1です。
私は死の問題について、確率で考えてみました。
まずは「死後が有るのか、無いのか」です。すると次の図のように、死後が有る=50%、死後は無い=50% となります(下図)。
さらに死後が有った場合を考えると、「今より良い世界、同じような世界、もっと悪い世界」の3つに分けられます(下図)。
これらはそれぞれ3分の1の確率です。
もしも死後が①今よりも良い世界であるならば、何も問題は無いでしょう。②今と同じような世界は、例えば再び人間に生まれ変わるなどが考えられますが、これも許容範囲と言えるでしょう。
しかし、③今よりも悪い世界に行く場合を考えると、ある不安要素が出てきます。それは、現在よりも大きな苦しみを味わわなければいけない可能性がある、ということです。
これを確率で考えれば、
「死後の有無(2分の1)×死後の行き先(3分の1)=6分の1」
が、悪い世界に行く可能性となります。
つまり6分の1の確率で不安要素があるわけです。
いつ死ぬか分からない上に、死後に6分の1の不安要素がある。これはつまり、約17%の確率で死後に苦痛が待っているということです。
「この不安要素を除去したい、悪い世界へ行く可能性を無くしたい」
そう考えるのは、私にとって自然なことでした。
この死の問題を解決するために、私は情報収集を続けました。