2018-11-14

大乗非仏説は他力信心の障害にならない

ときどき「大乗非仏説」という批判を目にする。大乗仏教はお釈迦さまの直説ではない、後世の仏弟子が創作したものだ、という批判である。これは確かに一理あるように思えるし、一定の支持を得ているようだ。

 
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しかし大乗非仏説は、他力信心にとって、ものの数に入らない。
 

 
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そもそも、もしもお釈迦さまが目の前に現れて「すまないが『大無量寿経』に説いてある阿弥陀仏の救い、あれは全部デタラメなのだ」とおっしゃったとしても、私は何も困らない。
 
まあ感情的には動揺するだろうが、私の気持ちが動揺しようがしまいが、他力信心には関係が無い。
 
なぜなら「仏願の生起本末を疑い無く聞ける」という点においては、変わりようが無いからだ。
 
逆に言えば、いくら私が「疑蓋(本願疑惑心)を取り戻したい」と思ったとしても、それは不可能なのである。つまり獲信者が未信に戻ることはできない、ということだ。たとえお釈迦さまご自身が、私の目の前で大乗仏教を否定したとしても、だ。
 
 
大乗非仏説を代表とするいかなる批判も、他力信心の障害にはならないのである。

 

2018-11-13

教義理解は往生の役に立たない

『教行信証』を1ページも理解できなくても、疑蓋さえ外れていれば、その人は仏になる。

逆に『教行信証』を全て理解して一言一句まで暗記していても、また「あなたは素晴らしい門徒だ」「優れた僧侶だ」と他人からほめられても、疑蓋が外れていなければ未信である。


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一文不知の者すら救うのが阿弥陀仏である。文字が読めなかった妙好人・庄松は、経典を上下さかさまに持ちながら「庄松助けるぞ、庄松助けるぞ」と読んだ。このエピソードから、他力信心と教義理解が本質的に違うものだと分かるであろう。

「往生するためには聖教を理解するのが必要だ」という主張は、学解往生(がくげおうじょう。異安心の一種)である。


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教義理解と他力信心は別物。いずれ滅びゆく脳みそにいくら教義を詰め込んでも、往生の役には立たない。
 

2018-11-12

死後の問題を無視する人々

インターネットの普及で、世界中の災害や事件がすぐ分かるようになった。

日本では地震や水害が話題になるし、ブラジルでは泥棒や強盗が多い。サンパウロでは「泥棒に遭った」という人は珍しくなく、私も物を盗まれたことがある。

 
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子供のときから不思議に思っていたのが、死ぬ可能性があるような災難に遭ったとしてもなぜか、死後の問題について考える人はとてもとても少ないことだ。
 
死ねばどうなるのか、科学的には何も分かっていない。エジソンや天才ニコラ・テスラも死後について研究していたが、いまだに死後が有るのか無いのかすら不明である。「死ねば無になる」「死ねば自然に還る」という人々もいるが、結局のところハッキリしたものは一つも無い。

   
そんな何も分からない暗闇に突っ込んでいくのが「死ぬ」ということだ。そのため、死後は不安要素のカタマリである、と私は子供の頃から考えていた。怖くないわけがない。
 
しかし私の地元には、死後の問題を解決しようとしている人はいなかった。そんな人には一人も会ったことが無かった。大人たちに質問をくり返したが、答えを知っている人はいなかった。
 
中には私の不安を和らげるためか「そんなに生き急ぐな」と言ってくれる人もあったが、私は生き急いでいたわけではない。

 
なぜなら死は、老人にも若者にも平等に訪れるからだ。自分がいつ死ぬのか、全く予測できないのだ。ならば当然、死後の問題の解決は早ければ早いほどよい、ということになる。

 
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私は高校を卒業するまでは、死後の問題に取組んでいる人に出会ったことがなかったので、自分が最も人生を真面目に考えていると思っていた。
 
しかし大学に入ってから妙好人の本を読み、同じような人がいることを知った。後生の解決を求めた人々の記録である。
 
私が阿弥陀仏の本願を聞き開かせてもらったのは20代の半ばなので、それまでは正直、精神的にしんどかった。娑婆に生活しているだけでも苦しみはやってくるのに「いつ死ぬか、獲信に間に合うのか」と焦っていたからだ。
 
のほほんと大学生活を謳歌している同級生がうらやましいと思ったこともあるし、「なぜ自分は世間の人と同じように死後の問題を無視して生きられないのか」と自分を恨んだこともある。
 
しかし月日は流れ、聞法には行き詰る一方だった。
 
そして最終的に「自分には獲信は無理だ」とあきらめてから、私は阿弥陀仏に出会った。
 

 
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阿弥陀仏に救われ、私は違う視点を持つことになった。
 
死後の問題を解決しようとしたのは、私ではなかった。そして死後の問題という小さなものではなく「六道輪廻の解決」という、より大きな宝を頂いた。
 
こうして私は、なぜ人々が死後の問題を解決しようとしないのか、よく分かるようになった。
 
なぜなら死後の問題を解決しようとしない人間というのは、ほかでもない、私自身だからだ。煩悩に振り回されて死んでいくだけの存在、それが私である。


死後の問題を解決しようなんて殊勝な心は、これっぽっちも持っていない。
 

 
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私は「浄土に生まれ仏になること」を喜ばずにおれない。
 
成仏を喜ぶ気持ちなど生まれないはずの自分だが、そのことを思うと、さらに喜ばずにおれない。成仏もそれを喜ぶ気持ちも、全て頂きものである。
 
そして阿弥陀仏は今日も、私の疑蓋を取り除いたのと同じように、最善を尽くして人々の疑蓋を取り除いている、と思う。
 


2018-11-11

Youtubeの法話動画


 私は法話を撮影してYoutubeにアップしている。妻の久保光雲の法話だが、これまで150本ほど作ってきた。

https://www.youtube.com/user/yukoyuko18gan

趣味でも仕事でもそうだが、こだわればこだわるほど、知らなかったことや予測しなかったことに出会う。


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撮影を続けたおかげで、カメラや録音機器などの使い方を覚え、より見やすい動画の作り方も学んだ。動画編集に大量の時間が必要だということも分かった。(冒頭の画像は動画編集ソフトの画面)

またトラブルも時々あり、カメラの焦点が合ってなくて映像がぼけた、録音機が作動しなかった、会場が暗すぎて撮影が困難だった、・・・などなど。

そんな時は焦るのだが、乗り越えてしまえば良い思い出となる。


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なにより「動画を見ました」といって直接訪ねてきてくれる人が出てきた。

阿弥陀仏とのご縁が深い人、具体的には後生の一大事ひとつを聞きたいという聞法者、そういう人に法を伝えたいと思ってブラジルにやってきたのだ。

ブラジルにも阿弥陀仏に引っぱられる人はいるはずと考えて、地道に動画を作り続けてきた。


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チャンネル登録者は少ないが、その数字はあまり問題ではない。 実際に聞法する人が出てくることが最も重要である。


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「Youtubeでご法話を見てますよ」と声をかけられることも増えた。

ぜひ仏願の生起本末を疑い無く聞ける身になってほしい、と願わずにおれない。

動画作りはとにかく時間がかかるが、今後もうしばらく続けてみようと思う。


2018-11-10

ミニ阿弥陀仏を作って安心しようとする人々



この図は何を表しているかというと、私が日・米・ブラジルで出会った浄土真宗の信者の様子である。全てとは言わないが、「阿弥陀仏の救いが有難い」という人の話をよく聞くと、こんな状態になっていることが多いように感じた。
 
頭の中に小さな阿弥陀仏を作り、その阿弥陀仏に「必ず救うぞ」と言わせて、自分で安心しているのである。さらにその喜び(?)を、他人にまで広げようとする人もいる。
 
頭の中で阿弥陀仏を作り上げるのは自力信心ですよ、1種の自己洗脳ですよ、それは親鸞聖人の教えとは違いますよと伝えるのだが・・・、「私の信心は本物だ」と強烈に思い込んでいる人には、何を言っても聞いてもらえない。
 
 
しかし中には、話が通じそうな人もいる。
 
そこで私は「頭の中で阿弥陀仏を作っているのは他力信心ではありませんよ」と、この図を使って説明することがある。
すると、自分自身にかすかな違和感を抱いていた人は、正直に「私はこの状態なのかもしれません」と告白してくれる。
 
ただし、その人が積極的な聞法を開始するかというと、必ずしもそうではない。自分の信心が間違っていることに気付きながらも、でも凡夫だからこんなものだろう、と誤魔化してしまう場合が多いようだ。
 
 
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『蓮如上人御一代記聞書』に以下の文章がある。

”蓮如上人の御時、こころざしの衆も御前に多く候ふとき、「このうちに信を獲たる者幾人あるべきぞ、一人か二人か有るべきか」と御掟候ふとき、おのおの肝をつぶし候ふと、申され候ふよしに候”

獲信者が一人か二人でもいるかと問われ、肝をつぶした者が多かったと書いてある。他力信心を得よと言い続けた蓮如上人のところに参詣した人々ですら、未信者が多かったということだろう。
 
 
蓮如上人の教団は、現在のような葬式や法事に依存した教団ではなかった、と私は考えている。蓮如上人は他力信心を広めることを最も重要視していたはずである。
 
たとえば上人が大量の名号本尊を書き続けてくださったおかげで、仏壇を設置することが容易になった。また『六時礼讃』の勤行をやめ、親鸞聖人の教えが分かりやすくまとめられた『正信偈』に切り替えられたのもその一環であろう。
 
身近な本尊も朝夕の勤行も、一般人の聞法をやりやすくした。そして蓮如上人は『御文章』を通じて「他力信心を得ることの重要性」と何度も伝えておられる。
 
そのような理想の布教形態ですら獲信者が少なかったのならば、俗に「国に一人、郡に一人」と言われるように、そもそも獲信者というのは稀なものなのかもしれない。
 
 
(ただし疑蓋を外すのは阿弥陀仏なので、もしかしたら今後、大量の獲信者(たとえば100人とか)が突然生まれる、という可能性はある。)
 
 
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ところで「国に一人、郡に一人」と言われたら、人間の感覚からすれば、とても少ないように思う。
 
しかし浄土真宗は、凡夫が仏に成る教えである。一人でも凡夫が仏に成ったとしたら、それはあり得ないことである。本来ならば仏道修行を完遂してやっと仏に成るのだから、仏教的にいえば凡夫一人でも多すぎるのだ。
 
 
「なんと不思議なことに、凡夫が一人、仏に成るぞ」ということである。
 
 

2018-10-06

心得たは心得ぬ?

他力信心についてこんな言葉を聞いたことがあります。

『心得たと思うは心得ぬなり』なのだから、他力信心を得たという人こそ間違っているのだ

最初にこれを聞いたとき、私にはよく理解できませんでした。なぜなら妙好人たちも、浄土真宗を開いた親鸞聖人も、またその師の法然聖人も、みんな他力信心を得た方々だからです。獲信して阿弥陀仏の素晴らしさを伝えていかれた方々です。
 
なのになぜ「他力信心を得たという人こそ間違っている」と言えるのだろうか?
 
実はこの「心得たと思うは心得ぬなり」という言葉は、室町時代に浄土真宗を著しく広めたことで有名な蓮如上人のおっしゃったことです(『蓮如上人御一代記聞書』213)。
 
全文は以下です。


心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。弥陀の御たすけあるべきことの尊さよと思うが、心得たるなり。少しも、心得たると思うことは、あるまじきことなり。


言葉の意味としては、
<「私は心得たぞ(自分の力で心得たぞ)」と主張する人は、心得た人とは言えない。「こんな自分を阿弥陀仏が救ってくださるとは、なんと尊いことか」と感謝・懺悔する人こそ、本当に阿弥陀仏の本願を心得た人なのだ>
ということです。
  
なので決して「他力信心を得たという人は間違っている」という意味ではありません。なぜなら蓮如上人ご自身が、「他力信心を得る」という表現を『御文章』の中でくり返し記しておられるからです。
 
その後しばらくして、他力信心を得ていない人が自分の気持ちを納得させるためによく使われる言葉だ、ということを知りました。(他にも『歎異抄』の第9条がよく使われることを知人の僧侶から教えてもらいました)
 
他力信心を得る(疑蓋が外される)ということは、現実に起こります。そしてそれは、本人と阿弥陀仏の関係においてのみ明確になります。
 
   *

なお 『教行信証』『御文章』『歎異抄』など浄土真宗の書物の言葉は尊いものですが、それらを自分の信心の土台とすることは間違っています。「あの本にこう書いてあったから、私の信心はきっと本物のはずだ」という、そんな曖昧なものではないのです。
 
あくまでも獲信とは疑蓋が外されることであり、一度疑蓋が外されてしまえば、疑いが戻ってくることはありません。
 
これを極端な例でいえば、たとえ目の前にお釈迦さまや親鸞聖人や妙好人が現れて「浄土真宗の教えは全部ウソなのだ」とおっしゃったとしても、全く影響を受けないということです。なぜなら下の図のように、獲信者は阿弥陀仏と直接つながっているからです。
 


本当に他力信心を得ていれば、つまり疑蓋が外されていれば、力んで「心得たは心得ぬなのだ」などと主張する必要はありません。自分一人で喜べる教えなのです。


現在の私


ここまで私の獲信について書いてきました。

私はその後、縁があって僧籍を取得し、現在はブラジルで生活しております。疑蓋が外されてから12年ほどたちましたが、阿弥陀仏に抱かれて安心の生活を送らせてもらっています。何よりも「いつ死んでも安心」というのが大きく、人生で出会うべきものに出会えたので、満足しながらいつでも死んでいける日々です。
 
次ページからは、私が浄土真宗について考えたコラムを書いていきます。どうぞお楽しみください。

2018-10-05

視点の転換

さて、前ページの最後で「他力信心は人間の努力や工夫によって得られるのではない」と書きました。
 
では何の力によって獲信に至るのか? それは阿弥陀仏の力であり、浄土真宗ではこれを他力と呼びます。
 
図で説明すると、獲信する前、私は自分ががんばって獲信しようとしていました。




しかしいつまでたっても獲信できず、どの方向に走ればよいかも分からなくなりました。
 
そして獲信というのは、そのような「努力を重ねる→達成する」という種類のものではなかったのです。
 
いうなれば阿弥陀仏が私に働きかけ、私を動かし、私を浄土真宗に引っぱったということです。そして疑蓋(阿弥陀仏の誓いに対する疑い)も、阿弥陀仏が一瞬で取り去ってしまいました。
 

阿弥陀仏が引っぱっていた

こんなことを聞くと、「じゃあ一生懸命に法話を聞く必要も無いじゃないか」と考える人がいます。

しかしそうではないのです。
 
確かに、がんばって法話を聞けば獲信できるわけではありません。ですが、阿弥陀仏が人間の疑蓋を外すために、人間に働きかけて、一生懸命に法話を聞かせるようにする場合がある、ということです。
 
私自身でいえば、法話や念仏など嫌うような人間ですが、阿弥陀仏の力に引っぱられ、それこそ命がけで法話を聞いていたわけです。

しかしそれで思い知らされたのは、自分には一生懸命に法話を聞こうとする心など無い、ということでした。真剣になろうとすればするほど、法話の最中に別のことを考えてしまう自分がいたのです。 

本当は自分が死ぬなどと思っていないのに、子供の頃から死に怯え、死の問題を解決しようとしてきた私。
 
実はそれは全て、阿弥陀仏が引っぱっていただけなのでした。 

2018-10-04

死の問題が解決された

浄土真宗のお坊さんの話を聞くようになった私は、死の問題を早く解決したいと思い、積極的に法話会に参加しました。
しかしそこで簡単に獲信できたかというと、そんなうまい話ではありませんでした。
 
 

分かりたいのに分からない


浄土真宗の教えを聞くようになった私には、分からないことがありました。

というのは、浄土真宗の教えはとてもシンプルで簡単に理解できたのです。にもかかわらず、ノドから手が出るほど欲しかった獲信にはたどりつけなかったのです。 

ここで浄土真宗の教えを簡単にいうと、以下のようになります。

仏教では「仏になる(悟る)」ということが最高のゴールである。なぜなら仏というのは、全く苦しみのない理想の境地だから。

しかし仏になるには、普通の人間には不可能なほど厳しい修行をしないといけない。それでは修行ができない一般人は、いつまでたっても苦しみの世界から抜け出ることができない。
 
ところが昔、法蔵(ほうぞう)という修行者がいた。その修行者はとても慈悲深く、迷い苦しみ続けている者たちを仏にしてみせる、と誓った。
 
とても長い間、厳しい修行をして善を積み続けた修行者は、その善の功徳を「南無阿弥陀仏」に詰め込んだ。迷い苦しむ者を救う「南無阿弥陀仏」を完成させたわけである。修行者は阿弥陀仏という仏になった。
 
そして今、私が南無阿弥陀仏ととなえること(いわゆる念仏)は、阿弥陀仏からのプレゼントである。
 
南無阿弥陀仏ととなえる者は、死ぬと同時に、極楽浄土と呼ばれる素晴らしい世界へ生まれ、仏にならせてもらえる。

と、こういう教えです。

まるでおとぎ話のような教えですが、そこには重要な何かがあるはずだ、と私は考えました。獲信した妙好人たちが皆この教えを聞いていたからです。
 
私は複数の浄土真宗の集まりに参加して、獲信していそうな人に話を聞いてまわりました。

彼らが言うには、獲信すると(他力信心を得ると)このおとぎ話のような教えが真実として聞える、とのことでした。 

それを聞いた私は妙好人のことが1つ理解できました。人間は常に死と隣りあわせで生きていますが、「いつ死んでも極楽浄土に生まれて仏になれる」のならば、それはとても大きな安心が得られるでしょう。

妙好人たちは死の問題を超越した言葉を残していますが、そこには獲信というものが大きく関わっているようでした。
 
 
ところで獲信のことを「疑蓋(ぎがい)が外れる」とも表現されます。これはどういうことかというと、阿弥陀仏の誓いに対する疑いの蓋(ふた)が取られる、ということです。
 


図のように、最初は疑いの蓋が邪魔をして、阿弥陀仏の誓いをそのまま聞くことができない(図の左側が当時の私)。
 
そして獲信するということは、この疑いの蓋が外れて、阿弥陀仏の誓いを疑い無く聞けるようになるということです(図の右側)。
 
妙好人たちは獲信していた、つまり疑蓋が外されていた、ということになります。
 

そこで私も「疑蓋が外されるように、一生懸命、法話を聞こう」と考えました。法話を聞いていると、何度も念仏(南無阿弥陀仏)の素晴らしさが説かれるので、他人に迷惑をかけない範囲で小声で「南無阿弥陀仏」ととなえるようにもしました。
 
しかしながら、いくら教えを注意深く理解しようとしても、私にはさっぱり分かりませんでした。

おとぎ話にしか聞こえないものは、おとぎ話にしか聞えないのです。結局いつまでたっても獲信できませんでした。


あきらめる


私は死の問題を解決したかったので、とにかく早く獲信したいと思っていました。なぜならたとえ若くても、交通事故や急病や天災などで、いつ死ぬか分からないからです。
 
しかし浄土真宗の教えを知ってから7年がたっても、私は獲信できずに悩んでいました。いつ死ぬか分からないのに、いつまでたっても獲信できない。疑蓋が外れないのです。
 
真剣に法話を聞けばいいのではないか、とか、命懸けで仏教書を読めばいいのではないか、とか、色々と試してみました。
 
ですが何をやっても妙好人のような境地にはなれません。むしろ、努力すればするほど、浄土真宗の教えを全く信じていない自分を思い知らされました。
 
阿弥陀仏が存在するとは思えないし、極楽浄土があるとも思えない。

もっといえば、仏教の基本すら信じていない。仏教では人間の命はいつ無くなるか分からない(諸行無常)、そして殺生などの悪い事をすれば苦しい結果が返ってくる(罪悪・因果)、と教えます。

そのような基本中の基本すら、私の心は無視していたのです。だからいくら法話を聞いたとしても、心の底では明日も生きておれると思っているし、肉や魚料理を食べておいしいと思う。

つまり、はなから仏教の基本(無常・罪悪・因果の道理)を無視しているわけです。
 
しかしそこで、ふと疑問が出てきました。なぜ仏教の基本すら無視している私が、浄土真宗の教えを聞きにきているのだろうか? 

私の本性としては、死後に苦しい世界が待っているなんて思っていない。自分が死ぬとも思わないし、魚の活き造りを食べても「今度は自分が同じ苦しみを受けることになる」なんて思っていない(だから美味しく食べることが出来る)。
 
浄土真宗の教えを何度も聞いて分かったことは、自分が浄土真宗の教えを聞くような奴ではない、ということでした。
 
これは一体何なのか? 何がどうなっているのか? 
 
よく分からない状況になっていたのですが、それでも法話に参加してしまう自分がいました。
 
何も分からないし、仏教は嫌いになるし、念仏(南無阿弥陀仏ととなえること)も嫌いだし・・・。私は何をしているのか? それすらも分からない状態でした。
 
 
そして20代半ばになったある年。私は獲信をあきらめました。
 
死を恐れ始めた子供時代から約20年間、死の問題を解決しようと努力してきました。そうやって最後に分かったことは、私には死の問題を解決できない、ということでした。

自分には獲信は無理だったんだな・・・、と、あまりに悲しくて涙がにじみました。
 
「そうか、死ぬまで怯えて生きるしかなかったんだな。これまでやってきたことは全て無駄だったんだ」と思いました。

しかし、なぜか体は法話を聞きにいってしまいます。


肌寒くなってきた10月。ある法話会に出かけた私は、ぼんやりと僧侶の法話を聞いていました。法話の最中に、私の中に<阿弥陀仏の本願はおとぎ話としか思えない>という思いが出て来ました。これまで何百回と浮かんだ思いでした。

そんな自分の思いに気付いた私は「ああ、こいつ(自分)は本当に浄土真宗の教えが分からない奴だな」と、客観的に自分を見ていました。

(こいつは法話を何年聞いても分からない。そもそも最初から何も聞いていないのと同じだった・・・)

私はそのような自分を、まるで他人事のように観察していました。私の口はいつものように、小さく「南無阿弥陀仏」と念仏をとなえていました。
 

獲信


そして私は、浄土真宗の教えを真実として聞けるようになっていました。
 
分かりやすくいえば、前述した浄土真宗の教え「お前は仏になる」ということを、疑い無く聞けるようになっていたのです。

浄土真宗の書物で調べると、これを「獲信」「他力信心を得る」「疑蓋(ぎがい)を外される」と表現するとあります。教えに沿っていえば、阿弥陀仏の誓いに対する疑いが無くなったわけです。
 
図で説明しましょう。



上の図のように、疑いの蓋が外されたため、阿弥陀仏の誓いを疑い無く聞けるようになったわけです。
 
それによって私は、浄土真宗の聖典(書物)の中で納得できなかった部分が、水が染み込むように自分のこととして受け取れるようになったのです。
 
そして不思議に思いました。
 
「なんだ、全部書いてあるじゃないか。おれは今まで何を聞いていたんだろう?」
 
しかしこれは当然のことです。上の図で説明したように、疑いの蓋がある間は光は入ってこない。いくら法話を聞いても聖教を読んでも、何も受け取れなかったのです。


なぜ他力信心を得ることができたのか?


浄土真宗の教えが受け入れられず、仏教の基礎(無常・罪悪・因果)も無視している自分です。仏教徒としての素質はゼロでしょう。
 
なのになぜ、他力信心を得ることができたのか?
 
それは他力だからです。他力というのは阿弥陀仏の力のことです。私の力は全く関係なく、阿弥陀仏の方から働きかけ、阿弥陀仏の一人働きで、私の疑いの蓋が取り去られたわけです。

私の努力によって獲信したわけではありません。阿弥陀仏の働きかけだったのです。
 
この不思議な救いには、私側の力が全く必要ないため、どれほど劣った人でも救われると説かれます。宗教的な才能は関係ありません。たとえ悪人であっても他力信心を得ることがある、ということです。


死後に対する不安が解決された


阿弥陀仏の願いは、死後に対する不安を解決するに余りあるものでした。なにせ死ぬと同時に仏にならせてもらえるのです。
 
自分のようなものにそんな素晴らしいことが待っているとは。人間は常に死と隣り合わせですが、獲信した人は極楽浄土と隣り合わせになるのです。
 
しかも仏教の基本すら無視しているような自分が・・・。いつか必ず来る死に怯えていた私の人生は、大きな感謝と懺悔に満ちたものとなりました。
 
 
ただし誤解してほしくないのですが、子供の頃から死の解決を求めていたと話すと「すごく人生を真面目に考えていたんですね。だから獲信できたんでしょうね」と言われることがあります。
 
たしかに他人から見れば、人生に対して真面目に取り組んでいたように見えるかもしれません。
 
しかし努力した結果として獲信できるわけではありません。他力信心は人間の努力や工夫によって得られるものではないのです。


その理由を次ページで説明します。

2018-10-03

浄土真宗の教えを知る

死の問題を解決しようと決意した私は、様々な本を読みました。小・中・高・大学と、手がかりになりそうな本を探し続けました。
 
最初に注目したのは、ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)というドイツの哲学者でした。
 


彼の考え方で興味深かったのが、

・全ての出来事は何度もくり返されるものである(永劫回帰)
・そこに意味を見出せる者になるべき(超人)

この2点でした。
 
たしかにそのような超人になれれば、人生に意味を見出せるでしょう。素晴らしい理論だと思いました。
 
しかしいくら理論が優れていても、実践できるかどうかはまた別です。
 
ニーチェ自身は晩年に発狂してしまい、精神病院に入れられて55歳で死亡しています。
 
もしも彼自身が提唱する「超人」になれていたならば、ニーチェは発狂しなくて済んだのではないか? それに「永劫回帰」という考え方にしても、もしも死後に耐え難い苦痛が待っているとしたら、何度もそんな苦痛を味わいたくない。
 
そう考えた私は、とても自分は超人にはなれない、と思いました。



禅宗の見性(けんしょう)、浄土真宗の妙好人(みょうこうにん)


しばらく西洋哲学について調べましたが、私が死の問題を解決できそうなものは見つけられませんでした。
 
その後、大学時代に知ったのが禅宗浄土真宗で、どちらも仏教の一派です。
 
仏教では厳しい修行によって悟りを開く、というのは聞いたことがありました。しかし実際に悟った人を見たこともなかったので「悟りというのも理論だけであって、一般人が実際に得られるものではないだろう」と考えていました。
 
しかし詳しく調べると、禅宗の高僧の残した言葉、そして浄土真宗の妙好人の記録には、心の底から驚かされるものがありました。

私がどうしても解決したかった死の問題に対して、彼らは答えを得ているようでした。
 
彼らはある精神的な変革を経て、死の問題すら障害とならない世界へ入っていました。それを禅宗では見性(けんしょう)といいます。浄土真宗では獲信(ぎゃくしん)とか他力信心を得るなどといいます。
 

先輩を探す


死の問題を解決するには、以下の2条件を満たす必要がある、と考えました。

 ・死後に対する不安が解決されている
 ・それが死ぬまで崩れない

ついでにいうならば、私のような凡人でも可能である、というのが大前提です。いくら理論が素晴らしくても、私が救われないのならば、絵に描いた餅と同じです。
 

禅宗ではまず、見性体験を得た人を探しました。先に問題を解決した先輩がいるならば、その人から直接話を聞くのが近道だ、と考えたからです。

ただし見性を得たかどうかは、他人の目からは分かりません。禅宗には昔から「野狐禅(やこぜん)」といって、正しい見性を得ていないのに、自分は見性体験を得たと思い込む人もいました。そのような人に引っかからないよう、慎重に指導者を選ぶ必要もありました。

内山興正という僧侶の著作を読んで、この人は信頼できると感じたのですが、残念なことにすでに亡くなっておられました。結果としては、見性体験を得た人を見つけることはできませんでした。
 
 
浄土真宗においては、妙好人のように獲信した人を探していました。
 
実をいうと、禅宗よりも浄土真宗の方に希望を抱いていました。なぜなら浄土真宗は一般人のための宗派だからです。

禅宗では宗教的才能に溢れた僧侶、たとえば一休さんのような人が見性を得ていました。しかし浄土真宗では、農民や大工や主婦といった人々の獲信の記録が残っていたのです。
一般人である妙好人が、死後の不安を解決している。ならば私にも死の解決ができるかもしれない、と思いました。
 
なお浄土真宗においては、死後に苦しい世界が待っていることを「後生の一大事(ごしょうのいちだいじ)」といいます。

その後、いくつか浄土真宗の寺院や集まりに参加し、お坊さんの法話を聞くようになりました。

2018-10-02

子供時代からの疑問

私は現在ブラジルに住んでいますが、もともとは日本の田舎町に生まれました。野山や川で遊ぶのが好きなごく普通の少年でした。
しかし幼い頃から、どうしても気になる疑問がありました。それは「死んだらどうなるんだろう?」というものです。
 
夜中に目が覚めた時など、暗い部屋の中で「いつかお父さんもお母さんも死んでいなくなってしまう。そして必ず、僕にも死ぬ日がくる。死んだらどうなるんだろう? 何も分からない、すごく怖い」と思うことがありました。
 
死について色んな人に話を聞きましたが、よく聞いたのが「死んだらどうなるかなんて考えたことないな」というもの。また「子供時代は死んだらどうなるか考えたけど、大人になったら気にならなくなった」という人も多かったです。
 
しかし私はなぜか、いつまでたっても死ぬのが怖かったのです。
 
「死んだらどうなるんだろう?」という疑問は、青春時代になってもずっと私の心の中に残り続けました。
 

 

なぜ死ぬのが怖いのか?


ところで、なぜ私はそれほど死ぬのが怖かったのでしょうか。
その理由は、死後に何が起こるのか全く分からなかったからです。



例えていえば、死んだ後は「何が入ってるか分からない箱」と同じです。
その箱に穴が開いていたとして、その中に勢いよく手を入れられるでしょうか? 中身はおもちゃかもしれないし、ケーキかもしれないし、毒ヘビかもしれない。本当に中身が分からないのであれば、多くの人は不安を感じるのではないでしょうか。
 
これと同じように、死後は完全なブラックボックスであるため、私は不安を感じたわけです。そのため周囲の大人たちに「死んだ後はどうなるの?」と聞いてまわりました。
 
しかし大人たちは「死後が分からないなんて当たり前じゃないか」「死んだ後が怖いなんていうのは、子供のうちだけだよ」と言って、質問してくる私を相手にしませんでした。
 

死後の不安要素は6分の1


もっとも意外だったのは、現在の科学においては死後が有るか無いかすら分かっていない、ということでした。そのため当然、学校教育でも死後について教えてくれる授業はありません。
 
それならばなぜ、世の中の大人たちは平気な顔をして生活しているのだろうか? 死後は不明だし誰もがいつ死ぬか分からないのだから、解決方法を求めるのが最優先のはずなのに。私の目には、ほとんどの人が死の問題を忘れているように見えました。(※死の問題を解決しようとする人が少ない理由は、後に分かることになります)
 
そこで私は子供なりに情報を集めようとしたのですが、死後については何のヒントも得られませんでした。中にはオカルト的に「死後には天国や地獄がある」と主張する人もいましたが、信頼できる根拠があるようには思えませんでした。
 
死の問題について話し合える相手もいないので、私は自分一人の問題として解決の手がかりを探していきました。
 
 
その後、学校で数学を勉強しているときに「確率論」という考え方を知りました。物事の結果が何パーセントであると予測されるか、というものです。例えばサイコロを1回ふって1の目が出る確率は6分の1です。



私は死の問題について、確率で考えてみました。
 
まずは「死後が有るのか、無いのか」です。すると次の図のように、死後が有る=50%、死後は無い=50% となります(下図)。



さらに死後が有った場合を考えると、「今より良い世界、同じような世界、もっと悪い世界」の3つに分けられます(下図)。



これらはそれぞれ3分の1の確率です。

もしも死後が①今よりも良い世界であるならば、何も問題は無いでしょう。②今と同じような世界は、例えば再び人間に生まれ変わるなどが考えられますが、これも許容範囲と言えるでしょう。

しかし、③今よりも悪い世界に行く場合を考えると、ある不安要素が出てきます。それは、現在よりも大きな苦しみを味わわなければいけない可能性がある、ということです。



これを確率で考えれば、
「死後の有無(2分の1)×死後の行き先(3分の1)=6分の1」
が、悪い世界に行く可能性となります。

つまり6分の1の確率で不安要素があるわけです。


いつ死ぬか分からない上に、死後に6分の1の不安要素がある。これはつまり、約17%の確率で死後に苦痛が待っているということです。

「この不安要素を除去したい、悪い世界へ行く可能性を無くしたい」

そう考えるのは、私にとって自然なことでした。

この死の問題を解決するために、私は情報収集を続けました。

2018-10-01

ごあいさつ

このページでは主に、浄土真宗の他力信心をテーマに書いたコラムをお読みいただけます。執筆者である私(Ryuun Kubo)はブラジル在住の僧侶です。子供時代から死ぬことにおびえ、青年時代に浄土真宗を知って他力信心を求め、20代なかばで疑蓋を除去されました。ご縁があって30代前半に僧籍を取得。
獲信・他力信心・仏願の生起本末・本願疑惑心について書いた文章を、このページに投稿していきます。読者の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。